中日新聞(東京新聞)生活欄に、記事を掲載していただきました 2010.1.7



<共に生きたい>(6)へき地医療を守る 医師と住民 苦労分け合う

2010年1月7日

◆「地域包括ケアセンターいぶき」 畑野秀樹さん

 「具合悪いの!?」。医師の畑野秀樹(45)の姿を見て、近所の女性が外に飛び出してきた。

 往診日でない日、認知症で一人暮らしの堀○○(97)宅に医師が来ただけで周りが機敏に反応する。「様子を見に来ただけ」と答えると女性は笑顔になった。

 滋賀県米原市の「地域包括ケアセンターいぶき」所長の畑野は「一人では何もできなかった」と十七年間の活動を振り返る。車で一時間かかる北部の伊吹山近くには限界集落も点在する。老老介護も高齢者の一人暮らしも当たり前。「みんながちょっとずつ苦労するから温かい地域ができる」

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 畑野は28歳で同市北部の伊吹診療所に。循環器専門だったが「丸ごと『人』を診たい」と診療所を選んだ。当初は戸惑った。子どもに発疹(ほっし ん)ができて診療所に来た母親から「先生、なんでしょう」と聞かれ、「なんでしょうね」と首をかしげると、隣の看護師が「それ、水ぼうそうですよ」。最初 の一年間は「ごめんなさい」の連続だった。

 妻で看護師の弘子(44)も感謝する。「最初の子が一歳にならないうちに診療所に。『家で採れたから』と大根や白菜を持ってきてくれて、いつも家には野菜があった」。それから子どもは四人に増えた。

 診療所で十年が過ぎたころ、畑野は「医学的知識が遅れているのでは」と、孤独のトンネルに入り込んだ。そんなとき「いぶき」設立の話がきた。診療 所とリハビリ施設、老人保健施設などを備えた、医療と福祉の壁を取り払った市の施設。「いぶき」には、診療所で地元の人々の暮らしを見つめてきた畑野の考 えが強く反映されている。

 寝たきりでも難病でも「家で暮らしたい人を支えていく」が基本理念。現在大部分の人が自宅ではなく医療機関で亡くなるが=グラフ、「家で過ごせるのが幸せ。家から死を遠ざけてはいけない。患者さんに教わったこと」と畑野。

 診療所に赴任してすぐ、70代の膵臓(すいぞう)がんの男性を自宅でみとった。孫の一人は男性の右手を、もう一人が左手をにぎり何時間も放さなかった。「子どもは死んでいくお年寄りから、命のつながりを学んでいた」

 《厚生労働省調査で「死期が迫ったとき療養したい場所」は63%が自宅を希望。一方、希望しない人の8割が「家族に負担がかかり難しい」と回答した》

 高齢者を「家に帰す」を目標にリハビリに力を入れる。老人保健施設の入所期間は原則上限3カ月に定めた。目標がなくてリハビリへの意欲がなえ長期入所になりがちな施設も多いからだ。その成果で退所後約9割が自宅に戻る。全国平均2割をはるかに上回る実績だ。

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 脳梗塞(こうそく)で左半身がまひしている田中○○(71)は退院したばかりで自宅でほぼ寝たきり。往診にきた畑野と研修医の鈴木良典(27)に 「どうしたら元気がでるんやろ」と妻の○○(68)。ベッドの手すりをつかみ起き上がろうとする義信を助けながら畑野は問いかける。「動きたいですか?」 「はい」。リハビリに取り組む話し合いを始めた。

 「いぶき」のリハビリルーム。常喜○○(82)が、左足をかばいながら歩行車で訓練に励む。脳梗塞で二年前は立つこともできなかった。「来る人同士励まし合えたから、がんばれた」と常喜。

 往診先からは24時間、畑野らの携帯電話につながる。それで安心するのか連絡はほとんどない。患者も家族も医師もスタッフも「お互いさま」の信頼感でつながる。

 前堀○○(91)、○○(92)夫妻は2人暮らし。ともに脚と耳が不自由だが一緒にご飯を作り、はいずり回りながら畑仕事も。2人が動いた後 の土はつるつるになり、陽光で輝く。そんな姿を見つめて、研修2カ月目、東京からきた鈴木はこう話す。「病院にいるときは病気を治すことしか考えていな かった。往診先にはいろんな暮らしがあり、生きる上で何が大事か気付かされる」=敬称略(鈴木久美子)


記事の掲載していただき感謝しています。どうやって地域の人を支えるか、どうやって地域を守るのか、そんな視点を持たせてもらったのも地域。個々の力だけでは支えきれないし、システムの構築がないと継続した取り組みにできません。私たちいぶきのスタッフはそんなシステムの一部を担いつつ、将来にわたって地域の住民が、誇りを持って安心して暮らしを続けられることを支援したいと思います。(畑野秀樹)