Dr.K 地域医療の研修に来る

平成14年6月某日

 岐阜の先輩、Y医師から電話があり、「地域医療がしたいという先生がいるんだ。hataboのところで預かってもらえないか?」と。私としてはこれまでは学生の受け入れはした事がありますが、もう医師6年目の脂の乗ったDrを受け入れるのは初めてでした。不安もありましたが信頼しているY医師からの連絡でもあり、快くお引受けしました。

 彼(Dr.K)は、既に東京の大病院で総合内科のトレーニングを積んでいました。しかし大都会の病院の診療ではなく、「私は僻地で医療がしたい」と考えてY医師に相談して、転職したそうです。10年前までなら、僻地医療は敬遠され、自治医大の卒業生が義務として働くのが普通でしたが、ここ数年は、全国の医科大学の学生や医師が、プライマリメディシン(地域医療)・ファミリーメディシン(家庭医学)・ジェネラリスト(総合医)を勉強したい人が増えているようです。

 彼は温厚で非常にまじめな青年Dr.でした。内科で研修を受けているので、今更病気の事を話してもしかたないし、私よりきっと知識が多いので、内科以外のところを学んでもらいたいと思いました。

 たとえば、小児において診察室にキャラクターのマグネットをつけて遊ばせたり、最後にシールをあげたりして、こどもと仲良くなること。点滴する時には「ペンレステープ(局所麻酔テープ)」を貼って「これを貼ると痛くないんだよ」と暗示をかけることとか。

 胸部X線を撮ってもらったり、フィルムの現像を覚えてもらいました。大病院では、レントゲンを撮ることは医師の仕事ではありませんし、現像機を触ることなんてまずないでしょう。整形外科疾患では、骨のレントゲンを撮るのに透視台を使った方が、便利であることも参考になったでしょうか。膝関節への注射の方法も覚えてもらいました。これも内科ではまずすることはありません。

 内服処方時は、薬を目の前においてどんな薬か説明し、顔色を見ながら選択させたり。外用剤でも診察室においておいて塗り方を実際に指導したり・・・(私は当たり前かと思っていましたが、彼には新鮮だったようです)。

 カルテは、裏表紙にサマリーをパソコン入力し印刷しています。これで患者要約がすぐにわかるようにしています(何せ私の字は汚いもので)。紹介状もすべてパソコン入力です。これらを見てもらいました。また、診療所医師の知識の宝庫であり、強力な武器であるインターネット、特にメイリングリストの内容も自由に見てもらいました。

 往診は初日に8件付き合ってもらいました。チューブ栄養の人、寝返りもできない人、在宅酸素療法の人などいろんな患者さんがいます。患者さんへの対応に半分、家族への対応へも半分(ねぎらいの言葉をかけたりすること)のエネルギーを使っていることなど気づいてもらえば幸いです。

 長浜病院の開放型病棟も見てもらいました。3人入院させてもらっているのでカルテを見て、患者さんを診て、フィルムを見て、カルテに記入し、主治医と相談しました。また手術をしてもらった患者さんもいるので外科病棟や、療養型病床群ができているのでそこも少し見学してもらいました。

 水曜日の夜は、ビーチボールの練習につき合せました。彼はビーチボールは初体験とはいえ、サッカーとバドミントンを経験しているので、すぐに上手になってくれました。今度住民票を持って来てくれたら、町の大会に出てもらいたいものです。そこで消防士や看護婦、元保健婦、会社の若い人、婦人会、商工会の人などとのつきあいも少し分かってもらえたかな? 住民の方とうまく付き合うことによって、その地域が住みやす場所となりますし、重要な情報源ともなります。

 木曜の夜は、ペンションのご夫婦とうちの家族で夕食を一緒にしました。伊吹町がなぜ面白いか、ペンションのマスターも一緒に熱く語り合えました。私はもう伊吹に10年目、地域医療に燃えていた時代は過ぎ、今は地域に溶け込んで地域の一員として、自分のできる役割を果たしたいと思っています。もちろんエンジョイしながら・・・。

 町内のメル友からフナ寿司をDr.Kのために持って来ていただいたので、食べさせたら「おいしい」と食べてくれました。フナ寿司は滋賀県民になる踏み絵みたいなもの・・・。というわけで、彼は滋賀県民になる資質を持っていました。

 そんなこんなで、楽しいふれあいの機会を私にも与えていただけたこと、感謝しています。Dr.K、ありがとうございました。これから青森県や佐賀県の診療所を巡るそうですが、また機会があれば、研修に来てください。いや一緒に仕事をしましょう。

 それではお元気で、今後の活躍をお祈りします。